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三島由紀夫のグローバル・インパクト:没後50年の今も海外のアーティストを触発


>三島作品を扱う者は皆、遅かれ早かれ一つの問題に直面することになる。すなわち、「自分たちが扱っているのは三島の文学作品なのか、それとも彼が長い年月をかけて巧妙かつ意識的に築き上げ、割腹自殺というパフォーマンスで完結させたペルソナ(仮面)をめぐる神話なのか」といった問題だ。

>こうして三島のペルソナは「三島神話」となり、やがて「三島問題」、すなわち作者と作品が分かちがたく結びついているという問題を生むことになる。文学研究者なら「作品に登場する架空の人物と作者とを混同すべきではない」と言うに違いない。だが作者と作品の一体化こそが、この作家が世界中に影響を与え続けている理由の一つだろう。ペルソナをまとったことで、神話を生み出すことに成功したのだ。すなわち三島は、あらがいがたい魅力を持つ複雑なアマルガム(混合物)として人々の中に生き、作品への興味をかきたて続けているのだ。

>三島の作品が世界的に強い影響力を持つのは、海外の文化的要素が取り入れられているから、というのも理由の一つである。彼はギリシャの古典文学から19世紀末の象徴主義、20世紀のフランス文学ドイツ文学、さらにはニーチェや1960年代の東欧文学にも通じ、そうした文化的な伝統・規範が作品のベースになっていた。

>クラハトの作品もラフェリエールの作品も、もっともらしくてつかみどころのない、典型的なポストモダン小説であるが、両作品からは、三島作品に対する関心の再燃が読み取れる。それはまったく新しいレベルの関心だ。彼らのこの作家に対する関わり方は、過去に多く見られた手法とは異なる。これまでは、作品を細部まで読み込んで超保守主義的あるいは軍国主義的な要素を見つけ出し、イデオロギーの批判的な分析として捉えるか、あるいは漫画化・アニメ化された三島作品を、マッチョで低俗、かつ幼稚なロマンス、グロテスクさを好むサブカルチャーアイコンとして扱うかのどちらかであったが、彼らの作品はそうしたやり方を完全に超越している。