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一日一文
ルール
毎日、季節に合わせた1単語づつ。 文章であること。 お題の単語から想像出来ることを文へと映す。 お題をそのまま入れてもいいし、入れなくてもいい。 400文字以上、1000文字以内。 誰でも記入可。 最初の文章の下から一行開けて初めてください。 最後に([書いた人の名前])orアイコン(Ctrl+i)を付ける。 書きたい単語の所へはその日でなくとも記入OK。

8/24 絲取

8/23 夏深し

8/22 願の糸

8/21 天の河霧

8/20 夏果つ

8/19 一葉落つ

8/18 飛行機雲

8/17 秋海棠

8/16 白河夜船

8/15 天霧らう

8/14 白粉花

8/13 門火焚く

8/12 海霧

8/11 静寂

8/10 水簾

8/9 絵空事

僕は全く知らない他人のその後を想像するのが好きだ。それこそ絶対にないだろうというものから、実際にありそうだよなという想像まで多岐に渡る。たまにその後たまたま知り合いになった時にそういえばと想像で考えてたことがリアルとごっちゃになって話してしまう時がある。そうだな、例えばこの前あった話をするとしたら、カフェで隣の席に座ったサラリーマン風の男の物語。その男は毎日この時間にこのカフェにやってきていつものコーヒーを頼む。休みの日関係なくカフェが休みの日以外全日だ。店員とももう随分の顔見知りで彼がくると清算前にコーヒーを作り始めてしまうくらいだ。コーヒーを受取り窓際のカウンター席、彼のいつもの席だ。そこに座るとぼろぼろになった文庫本を出してゆっくりと読み始める。一頁一頁大切に読み始める。彼には婚約者がいた。その婚約者は読書好きで彼も呆れるほどだった。ある日突然婚約者は彼の前から居なくなった。彼女と会う約束をしていたいつものカフェ、そうこのカフェだ。彼女が置いて行った本を持って、くるかもわからない彼女を待ち続けているのだ。とこんな想像なのだが、営業先で知り合った彼に婚約者などいないし、ましてやあのカフェは行きつけでもない。それなのに彼に婚約者は見つかりましたか?なんて聞いてしまって、数秒して自分の想像だったことを思い出しなんとかごまかした。touhukantouhukan


8/8 鮎の宿

ざあざあと葉波の音が聞こえる。瞼の裏には木漏れ日が暖かく降り注いで日々の忙しい生活から解放されたような気持ちになれる。良く冷えた川の水が足をよけて流れていく。ふと、ちょんちょんと足を触る気配がした。閉じていた目を開き足元を見ると足元をひらひらと魚が泳いでいた。余りにもゆっくりと泳いでいるので、手掴みで捕まえることが出来た。手の中でばたばたと苦しそうに暴れている。折角だからと立ち上がり片手に椅子を掴むと車まで戻る。魚を袋に入れクーラーへ突っ込むと焚火の準備をする。魚を袋からだし、軽く処理をして多めに塩を塗りこむ。途中で拾った木の棒の表面をナイフで削り、そこへ魚を刺す。すでにおいしそうだ。焚火の近くの地面に棒を刺し、じっくりと魚を焼いていく。冷えた足が焚火でじんわりと暖かくなったころ、魚も食べごろになったようだ。口に運ぶとふわっとまるで雲のような、霞を食べているような気分だ。余りにも身が柔らかく採れたてだとこんなにもおいしいものなのか、次に塩味がツンと眉間にくる。そしてここで川で冷やしておいたビールを飲む。はぁ無上の幸せとはこの事。touhukantouhukan

8/7 翌は秋

一人暮らしを始めてからカレンダーと言うものが家に無いことに今更ながら気付いた。実家にもいつもカレンダーがあったし改めて買いに行くという事もしてなかった気がする。実家の壁に掛けてあるカレンダーは近所の工務店などのカレンダーで、よくわからない名言なんて書いてあったりしてそういう一般家庭によくありそうな一般的なカレンダーがあった。なぜカレンダーに気付いたかというと窓を開けた時に風が冷たく感じたからだ。日頃カレンダーなど気にしない生活をしていたし、携帯を持たないようにしていたせいか暦なんてもってのほかだと気付いたところで、だ。暗くなった窓の外、少し遠くのところでボーン、と寺の鐘がなる音が聞こえた。それとほぼ同時に腹の音もなった。なんと正確な時計なのだろうか、家に時計がないわけだ。かといって何かを作るという意欲もない。ちょうど袋麺があったのでがさごそと準備する。暗くなった部屋の電気をつけて、具なんてなにもないラーメンを啜る。touhukantouhukan

8/6 帰省子

仕事を始めてからめっきりじいさん家に行くことが無くなった。それでも今年は流石に行かないと、と思い至った。今まではお盆休みもなにかするわけでもなく、家で本を読んだり、ゲームして過ごすだけ、周りの友人達は実家に帰ったり、旅行に行ったりと楽しんでいるようだし、今年も同じように過ごすのか、と思ったらどこか泣きそうになり、親に今年は俺も一緒にいくよと連絡した。すこし驚いたようだったがうれしそうなのは伝わってきた。じいさんは嬉しそうに「よく来たな」というと「入っとけ」と言って自分だけ蔵の方へ行った。蔵と言っても古いものではなくここ何年かで建てたものらしく、中にはじいさんのコレクションやらが入っていてばあさまも入れてもらったことがないということ。居間で待っているとじいさんが「一緒に飲むぞ」とワインを1瓶持ってきた。お前が生まれた時に買ったもので二十歳になったら飲もうと思って買ってたら全然家に来なかったので埋もれていたらしい「言ってくれたら来たのに!」と言うと照れくさそうに「よく考えたんだが、酒の味もわからん若造にはやれんと思ってな、それに全然来なかったからちょうどいいと思って」そういうとグラスに30年も前に買われたワインを注いでくれた。touhukantouhukan

8/5 外寝

小さい頃ってのは、今よりも感覚が研ぎ澄まされていて気温とか湿度とかそういうのを敏感に感じ取れていた気がするんだ。うちの両親ってのはかなり自由な人達で、俺が夏休みの度に旅行に言ってくるなんていって父方の実家に置いていかれてたんだけど、その頃はまだそんな田舎にも子供たちは何人もいて遊び相手には困ったことはなかったんだけど、毎日の様に遊べるわけもなくてたまに一人実家の縁側でゴロゴロとしてる時があったんだ。遠くの方でばあちゃんが何か料理してる音がして、蝉の声と近くを流れる川の音がいい感じに眠さを感じさせていたんだ。そんな時は大体いつの間にか眠っていて、晩御飯の時にはお腹がすいて起きるんだけどその頃にはだいぶ喉も乾いていて、喉の奥が張り付くような感覚がわかったんだ。起き上がらずにぼーっとしてるとまるで石英からのぞいたような雨が降り始めたんだ。綺麗だなぁって思ってるとばあちゃんが氷の入った麦茶を持ってきてくれてそれを乾いた喉に流し込むと、すーっと視界が冷えて広がるような感覚があったんだ。あの感覚は今でも思いだせるよ。touhukantouhukan

8/4 日傘さす

「なぁ、お前のお姉さん紹介してくれよ」大学で知り合った友人が言う。彼が言うには僕と姉が一緒にスーパーを出ていくところを見ていたらしい。「あのな、なんども言うけど僕に姉なんていないし、ましてや一人っ子だ」人違いじゃないかというと、そんなことないと首を振る。たしかに見たといって聞かない友人を連れて自分の実家へ連れて行くよと言うと、是非!とうれしそうにしていた。想像上の姉を否定するために実家においてあるアルバムを見せようと思った。家に帰るとどうやら両親は出かけているみたいで誰もいなかった。友人は小声でお邪魔しますというとそろそろと自分の後ろについてきた。アルバムをぺらぺらとめくっていると友人が大きな声で「あっ!この人!」と言ってある写真を指でさした。そこには小さな僕の横で白いレースの日傘をさしてにっこりと笑っている女性が立っていた。「あぁ彼女か」何故か納得した僕はどこかうれしくなった。「彼女はぼくが小さい頃に死んだよ」touhukantouhukan

8/3 青田風

さー、夏にしては涼し気な心地よい風が吹いた。昼過ぎの食後、食べ過ぎて苦しくなった腹をさすりながら祖父母宅の畳敷きの居間でゴロゴロとしていた。山の中にある祖父母宅は隣の家さえも遠い所にあり、周りには田んぼや畑しかない様な、ザ・田舎である。コンビニに行くにも車を30分も走らせないといけないし、閉店も19時なんて早すぎる。田舎のさみしさを紛らわす為に忙しかった時期に買って積んであった本をぺらぺらと捲る。ふと、波の音が聞こえた気がした。海なんて近くにはないし、と立ち上がり視線を塀の向こうへと移す。永遠と広がる一面のクソ緑が風に靡き、さぁさぁと波の音を立てている。まぁ都会ではこんな光景は見れないか、眼前で靡く苗を見てそう思った。祖父の部屋からはアンティークな蓄音機が音楽を流し丁度良い程度に耳に入ってくる。波とレコードの音を聞きながら、本の続きを読むことにした。この夏が少しだけ好きになった。touhukantouhukan

8/2 氷菓子

私にとっての氷菓子は、生活の一部に取り入れることにより潤滑油の様な役割を果たすモノである。たとへば、風呂上がりにちょいと食べたりすると良い。夏場などの暑い時期、風呂へ入るにも億劫になってしまい、何かご褒美がないと勇気が出なかったりするのだ。そんな時に氷菓子のひとつでもあれば、風呂上がりにでもと自分へと言い聞かせ、ざんぶと風呂へと入ることが出来るものだ。濡れた髪をかるくタオルで包み、冷凍庫へ寝かせた氷菓子を起こす。今日はキミの番だよ、カップに入った味付きの小さい氷たちを口の中へざらざらと流し込み奥歯でぼりぼりと嚙み砕いていく。冷房の効いた部屋で肩や足へ当たる風や氷菓子の冷たさが外と中から身体をじわじわと冷やしていくのがわかる。窓を開け、尚も沈まぬ太陽が外界をまぶしく照らし夏虫たちはまだまだと鳴き続けている。暖かい風が冷えた身体を撫ぜていき、これを贅と言わず何を贅と言うか、幸福感に身と心が堕ちていく。 touhukan touhukan

アイスと人間は相対的な関係だ、なぜなら人間にとって冷たさは怖いもので、アイスにとって温かさは怖いものだ。ではつめたいアイスは人間的だ、というとおかしいだろうか。
1500度の灼熱でやっと溶ける鋼鉄とちがって、人肌で溶けるそのやさしさ。うっすらとしたその甘さ。ざくざくと小気味のいいその固さ、溶けかけのそのやわらかさ。アイスはその全部が人にそっとよりそっている。甘い液体からアイスになるまでの寒い思いを、アイスは人に押し付けない。人の身体のなかでも凍っているアイスはいない。人はアイスを溶かすことでしばしの涼を得る。こうしてアイスは生れてから溶けるまですべて人にあわせてくれる。その温かみを主張しない。これがホントのCOOLということだろうか。こんなにCOOLな人はなかなかいないから、アイスは人間的だ、というのは少々いいすぎなのかもしれない。氷のように固くつめたい人のなかにも、アイスのようにやわらかいやさしさがあるかもしれない。
アイスと人間は相対的な関係だ、なぜなら人間にとって冷たさは怖いもので、アイスにとって温かさは怖いものだ。人と人との間にもそれはいえる。人はアイスを作った。人はアイスを食べる。人はアイスを食べて、やさしさについて考える。イタロー

「ホントのCOOL」ここ好きtouhukan

8/1 夏空

今朝はじめじめと肌への湿気が過分と自分の周りをくるくると、纏わりついていた。近所の公園でミンミンと忙しなく鳴く蝉の声を聞きながら、なんとかこぎつけたデザインの仕事を黙々と進めて行く。結露したグラスを口へと運び、角の丸まった氷をがりがりと噛み砕く。どうにもこうにも思った様なデザインが出来ない。行き詰った時は散歩に限る。たしかこの時期は5分程歩いたところの喫茶店がかき氷を出していたはずだ。散歩がてらそこへ寄ろうと財布と携帯だけをもって出かけることにした。外へ出ると空はどんよりと暗い雲が浮いていた。すこし土臭い香りがして湿気の含んだ風が首筋を撫でる。あぁ、雨が降りそうだなと駆け足で店へと歩を進める。丁度、窓際の席が開いており、そこへ座ることが出来た。メニュー立てにはフルーツが沢山盛ってある季節限定のかき氷のメニューがあった。店員へかき氷を注文し、ぼーっと窓の外を眺めていると、ぽつぽつと雨粒が窓を叩き始めた。雨はあっという間にざーざーと窓からの景色を虚ろにした。しばらくすると丁度良い大きさのかき氷が私の前へ置かれ、雨音と店内の音楽を耳へと入れながら、氷で冷えたフルーツをひとつづつ味を確かめるように食べ、最後に残ったシロップ水をスプーンで掬い、最後まで堪能することが出来た。店内を出るとさっきまでの雨が嘘のようにカラッと青空が広がっており、青に浮かぶ白雲が太陽を反射してキラキラと輝いていた。touhukantouhukan

7/31 黎明

ぼんやりと視界がじんわりと暖まってくるような、そんな気配がしてふと窓に目を向けた。霧でぼやけた稜線がオレンジや淡いピンク色の光を帯びて、どこか異国の様な、そんな雰囲気がして胸の奥にぐるぐるとした感覚が流れてきた。それを止めようと冷めたコーヒーを喉へと流し込んでみる。幾分か、ましになった情緒でキッチンへと向かう。先日、近所のパン屋で買ったクロワッサンを温め、半分に切ったそこへハムとチーズを挟む。それとコーヒーを入れ直して、椅子を持って東向きの窓へと移動する。先程よりもくっきりとした稜線を眺めながら、ぼーっと朝ごはんを食べる。寝ていない頭はいつまでもぼんやりとしていて、でもそんな頭だからか朝日が余計に綺麗と感じられるのだろうかと、よくわからないことを悶悶と考える。最後の一口をぐっと放り込んで、コーヒーで流し込む。登り切った太陽を浴びながら、うんと背伸びをした。touhukantouhukan


7/30 桃の葉湯

外ではジージーと夏の虫の声が聞こえ、開けられた窓からは熱気が入ってきている。壊れたエアコンを睨みながら氷を目一杯入れてキンキンな麦茶を口から喉へと流し込む。唯一の救いだなと、どこにいるかわからないけど製氷機を考えた科学者へと感謝を込めて麦茶で乾杯をする。この暑さにより汗を流した身体にはあせもが出来て、所々が痒さを持ち鬱陶しくなる。そういえばと、ふと親からの仕送りの中に桃の葉があったのを思い出し、段ボールをごそごそと探る。子どもの頃はあせもが出来るたび母親が乾燥した桃の葉をお茶パックに入れてお風呂に入れてくれてたっけ、上京してからも毎年こうして暑い時期に桃の葉を送ってくれている。一緒にお茶パックも入っているあたり、流石だなと改めて尊敬した。小さい頃は鬱陶しくさえ思えた親切も親元を離れた今はとてもありがたく思っている。少しぬるめに設定したお湯に桃の葉を入れたお茶パックを浮かべ、くるくると回す。touhukantouhukan