ロシア・フォルマリズム
ロシア・フォルマリズムグループは、1917年の
ロシア革命の数年前にロシアに登場した。
1920年代を通して一世を風靡したが、その後
スターリン主義によって実質的に沈黙させられた。
好戦的論争的批評家集団であった彼らは、神秘主義まがいの象徴主義的原理を退け、実践的・科学精神に則り、文学テクストそのものの物質的現実に注意をふりむけた。
参考書籍によると、以下は彼らの主張するところのものである。
批評は芸術を神秘主義から引きはなし、文学テクストが実際にどのように動くかに関心を絞らねばならない。
文学は疑似宗教でも、心理学でも社会学でもなく、言語の特殊な組織体である。
文学は、それ独自の法則・構造・方法をもっており、それをそれ自体として、つまり何かほかのものに還元することなく研究せねばならない。
フォルマリズムの本質は、文学研究に対して言語学を適用したことにあった。そしてその際、依拠した言語学が
形式主義的なものだった。
彼らは形式を内容の表現とみるのをやめ、形式と内容との関係を逆転させた。内容は、形式を選ぶ際の「動機付け」にすぎないーー具体的にどのような形式を実践するかを決める契機ないし方便なのである。
まさにこうした
倒錯した主張ゆえに、
フォルマリストたちは反対陣営から「形式主義」という称を頂戴することになった。
フォルマリストたちは、
文学作品を様々な「技巧」の恣意的な集合と見るところから出発する。
そして後々、
こうした技巧を、テクストの全体システム内で相互に関係づけられた諸要素あるいは「機能」としてみるようになった。
また、
こうした要素全てに共通するものとして挙げられたのが「異化」効果である(参照:
小説技法の「
異化」の項目)
彼らは異化作用に重きを置き、あたかも文学の本質であるかのように主張したのである。