ラース・フォン・トリアー『ハウス・ジャック・ビルト』の鑑賞メモ
取り扱い注意報の映画である。
なんせカンヌ映画祭のプレミア上映では100人以上の観客が退席したらしい。同時に終了後には6分間に及ぶスタンディングオベーションを受けたらしいが。要は賛否両論なんやね。
強迫性障害を持つ連続殺人犯の行為が描かれる内容なんだけど、これは倫理的にどうなんだ......というシーンが出てくるんやね。そこが結構問題作と言われてるところなのかなあ。個人的には結構興味深い内容でした。ところどころ挟まれてくる哲学的描写が興味深い。病理や殺人心理、建築論や芸術論など考察できる範囲も広くて、あーぷらの映画鑑賞会に向いてるんじゃないのかと思ったけど、誰も来なさそう。監督のラース・フォン・トリアー自体が精神疾患も持ってますし、なかなかヘビーな人間のようだから、彼の作品には容易に近づき辛いところがある。しかしそれ故の価値はあるのかもしれない。
特に考察はしないが、内容だけメモったので載せておこう。
> 不合理な行為や思考を自分の意に反して反復してしまう精神障害の一種
> 同じ行為を繰り返してしまう「強迫行為」と、同じ思考を繰り返してしまう「強迫観念」からなる。
> * 強迫観念(きょうはくかんねん, Obsessions)とは、本人の意思と無関係に頭に浮かぶ、不快感や不安感を生じさせる観念を指す(侵入思考)。強迫観念の内容が現実になることはなく、事実であることもない。強迫観念の内容の多くは普通の人にも見られるものだが、普通の人がそれを大して気にせずにいられるのに対し、強迫性障害の患者の場合は、これが強く感じられたり長く続くために強い苦痛を感じている。ただし、単語や数字のようにそれ自体にはあまり意味の無いものが執拗に浮かぶ場合もある。
> * 強迫行為(きょうはくこうい, Compulsions)とは、不快な存在である強迫観念を打ち消したり、振り払うための行為で、強迫観念同様に不合理なものだが、それをやめると不安や不快感が伴うためになかなか止めることができない。その行動は患者や場合によって異なるが、いくつかに分類が可能で、周囲から見て全く理解不能な行動でも、患者自身には何らかの意味付けが生じている場合が多い。強迫性障害の患者の主要な問題は、患者の三分の一は強迫観念であり、残りの三分の二の患者は強迫行為である。
> ジャックの強迫行為→殺人、建築?潔癖症、確認恐怖、不完全強迫
> 殺人=芸術家の技、技術、静力学、材料こそ作品、材料には材料の意志がある。
> 精神病質(せいしんびょうしつ、英: psychopathy、サイコパシー)とは、精神障害の一種であり、社会に適応することが難しい恒常的なパーソナリティ障害、または、精神病と健常との中間状態。精神病質を持つ者は精神病質者、サイコパス(英: psychopath)と言う。
> 人を殺そうが殺すまいがいつか罰を受けると自覚していた。
> 殺人を重ねるたびに強迫性障害が軽減した。血痕の確認や心配事が緩んでいく。
> 人を殺して快楽の影があらわれるが最終的にに苦痛があらわれまた人を殺す
> 自分の家(芸術?安定した精神世界?)を建てることができない?
> 破壊やめつぼうが価値を上げて芸術になってもいい?
> わりと弱い材料を混ぜて1000年後に美しい廃墟になるように建築した
> 作品の中の残虐さは抑圧された欲望を表現したものだと言う
> 物語内でヴァージに自分の内面を告白していたジャック
ポエムのようになったがこういうポエミーな映画なんだね。