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ハイデガーのいう「破壊」
ハイデガーの「破壊」ないし「解体」は、哲学史を覆っている障害物を破壊するようなものだったかと思う久住哲
『存在と時間』§6で解体作業の意義が語られる
§6では伝統が固定化して、その伝統それ自体の根源が覆い隠されるとか、塞がれるとか言われる。
ちくま上p66とか
こういう遮るとかの話は『カッセル講演』(平凡社ライブラリーp115)でも言及されている
『カッセル講演』では「批判」という言葉とセットに語られている
『存在と時間』でもそうだったかと思う。たしか

固定された伝統へのもたれかかり(頽落)と対比されるのがちくまだと下巻p327あたりで語られるところの「明らかな自覚をもっておこなわれる伝承」かなと思う
ただし、「頽落」は現存在の存在を構成する要素のひとつでもあるので、単純に対比はできない

なお、『存在と時間』本論では破壊作業は行われなかった
その部分はけっきょく、『存在と時間』の一部としては書かれなかった
『存在と時間』は二部構成でそれぞれの部に三編ずつ割り振られていたが、刊行されたのは第一部の第二編の途中までである。(半分もない)
「破壊」は『存在と時間』の第二部で行われるはずだった
ちくま上p102
ただし、他の著作で第二部の内容にあたる考察が行われている
第二部はカント、スコラ哲学、アリストテレスが主に扱われる予定だったようだ
カントは『カントと形而上学の問題』で論じられている
スコラ哲学は例えば『現象学の根本問題』などで論じられていたかと思う
アリストテレスは……知っている人いればお願いします🙏

『存在と時間』以前のハイデガーは、たしか「流動化」みたいな言葉を使っていた
(流動化だっけ?"曖昧でーす")
たしか、『ハイデガー読本』に書かれていた
久住哲は売却済みなので確認はできず

自分の過去のメモによるとハイデッガー全集26巻の211, 212ページあたりも参考になるとのこと