おぼろげプルーフ 03
三月終了です。
気づかずに跨いでいた。
明日、掃除ね。
久しぶりにマインクラフトとかテラリアとかを誰かとわちゃわちゃやりたい。
知らないところで悪いことをしている人の話を後輩から聞く。正当化がお上手なようで。
いつもはへりくだってるくせにね。こういう人をいつか殺せたらいいな、と思う。
フリーライティング、しばらくサボっているから心が毛羽立ってる。ざわざわな肌触り。
これがちょうどいいような気もする。
書き方を忘れてしまったので、少し自分の日記を読み返してみたが思い出せない。
書いたことはなんとなく思い出せる。そんなこともあったな、と、感情も少し思い出す。
どう書けば伝わるか、形になるか、すごく考えるときもあったな。
この頃は、自分が納得できればそれでいいと思っている。
書いて、誰かにぶつけたりする必要がない。
眠いんだな。眠いと、なんにも熱くなれない。それだけのことかもしれない。
今日は早く寝よう、って思って気づけば0時回って、それから針が二、三周していたりする。
暖かくなってきたから、外で歌って来ようかな。
外行ってきた。発声がまだまだ本調子じゃないので練習中に感じたことをいろいろメモした。
特にない。わけないだろ!
今日は意外と元気だったかも、ラジオやってみてコンディションがわかる。
ボイトレやらないと、やっぱコンディション落ちる。結局継続したもん勝ち。
リフの練習をやりすぎて声がすこし硬くなってる。
ピッチを堅く狙いたいのであって、声質を硬くしたいわけではない。筋肉が分離できてないってことだろう。
まだまだこれからだな。
鼻詰まりがひどい。部屋が汚いのかもな。そんなのよく見渡せば分かることだ。
デスクがほこりでかすかに白んでいる。
昼間、あたたかったので窓を開けた。風は少し強かったが、春のいい香りがした。鳥もよく鳴いていた。
最近カメラの起動音みたいな鳴き声の鳥がいて、朝になると大きな声でよく鳴いている。それで目が覚める。
きょうはすごくのどかだったと思う。ギターも気持ちよかった。
近頃、あまり書いてはいないけれど、少しずつ感覚が戻ってきたような気もする。
もしかしたら、書きすぎていたのかもしれない。
超うまいハヤシライス作った。4杯食べた。
お、荒れてる、荒れてる。なかなかこういう時に遭遇できないので残念。BANしてみたかった。
アープラの住人、朗読部多いから、これもう実質ジャックしただろ。
弦交換した。換えたてはギラギラしてて気持ちがいい。ギター!!!!って感じ。
引っ掛かりなくて弾きやし~。
ネット回線解約の諸々の手続きで一万円キャッシュバックされて嬉しい。しかしaupayである。さてどう使おうか。
心がずっとそわそわしてる。なんかいやだなぁ。
最近閉じた歯の間から、無意識に舌を這い出して、噛みちぎれればなぁ、と思うときがある。そうだとしてもなにも変わらないのだけど。
今日Uber頼んじゃった。二郎系。微妙にお腹下した。ガソリン満タンって感じ。誰にも近づけない。
行き場のない感情があるので、創作をすればいいと思っている。
時間を無駄にしてしまっていることへの罪悪感が募る。
謝っても意味がない、行動で示さなければ、と思う。
何が足りなくて、何が余計なのかそれがわかれば、あとは補充と削減をしていくだけなんだよなぁ。
なんでいちいちこんなくだらないことで思考して、試行回数を減らすんだろう。創作は結局やったもんがちだろ。
自分の感情くらい自分でコントロールしなければいけないね。
雨が降ったり、雪が降ったりして、最近わからなくなっている。夜はまだ寒いけど、寒いまま過ごしてる。そろそろ春になるから準備をしないと行けない気がして。
思っていることをひとまず書くことが大事なのだろう。何も書けない、と言い訳するよりも、何も書けないことを書くことは出来たはずなのだから。
自分の日記なのに、ときどき不自由さを感じている。
でも、そういう不自由さから這い出して、かいくぐって、宝の場所を示す暗号が書けたら面白いかもしれない。
多分いつだってそうなのだけど、ちゃんと人を殺せたらいいのだと思う。
勝手に死んだことにして、完結させちゃうのはきっともったいないね。
しょうもないツイートをみて笑うぐらいの元気はある。まだ大丈夫だな、って思う。
無駄だな、って思っちゃう、無駄だなって思ってる人のこと。貧乏性だから。
この人は一生無駄を通り過ぎていくのだろうか。
ときどき何も愉しめない自分へそう思って、劣等感。
ゆっくり書くと気持ちだけかけるからいい。フリーライティングとかで頭回すことばかりに意識が向くと、全部頭で片付けちゃう。
これはこう、それはそれ、綺麗に整頓されてるけど、居心地がいいわけじゃない。
もしかしたら来月から、人に芝居を教える手伝いをするかもしれなくて、この頃それが不安の一つだ。
技術と心、どっちが大事だろう。どっちも大事なのだけど。
だから僕だけが単体で人に芝居を教えるなら、どっちも教えると思う。
技術って、心があって発動するものだけど、技術を手がかりに心を知ることもあるから。
音楽理論を知っていれば、音楽の読解ができる。
こういう感じがする、から、これはこういう暗号なのだ、ときっと、と作者の気持ちは分らなくても、わかろうとすることはできる。
それはほんの少しうれしいことじゃないか。
言葉は人間の生み出した技術だと思うから、それのおかげで、心を手繰り寄せることが出来ているはずだ。
自分の心がわからないとき、言葉にしてみるのが、一番いい。
いまの心配ごとは技術だけをしって、心にたどり着かないことだ。
調味料や素材の味を知っていても、自分の創りたい味がわかってなければ意味がないと思う。
朝と夜ギタースケールの練習とか、ボーカルリフの練習とかをちょくちょくやっている。
なにかと言い訳をしてやってこなかったことだけど、ちまちまやってれば、なんかできるようになってくる。
ほんとにさっさと始めればよかった、と思う。そうすれば再来月の友人の誕生日に、いやもっと前の誕生日にも、超いい曲が作れていたかもしれないのに。
よし、ちょっとすっきりした。何事もなかったかのように忘れよう。そしていつか読み返して後悔しよう。
キーボードの軸をまた吟味し始めた。どうして人間の欲求は留まることを知らないのか。
軸の交換が面倒なので、もう一個欲しい、などとも思っており。
忘れてた日記。
超長風呂してた。
ギターの弦を買った。
いつも使ってる弦が値上がりして今は2300円なのでキツイ。
去年は1500円だったのに。それでも高いのだけど。
最近好きな漫画家。この気持ちとてもわかる。
サーバー建てようかな、って思って一瞬建ててみたけど、コンセプトとか、やりたいこと特に浮かばなくて、即削除した。
いろいろと決着をつけないといけないことがある、と思っているけれど、動き出すのが非常にめんどくさい。
リアルではアカウントもログも消せない。
あったかくなってきたらまた会おう、と友達と約束したけれど、こっちから連絡取るのめんどくさい。用事がないんだよな。
毎日ギター弾いて、歌って、本読んで、それで充分で、それが充分なんだよな。
学園アイドルマスターのPV観たら泣いた。これはもう、今までの技術の粋を集めた発明だろ。
PCでできるようにしてくれ学マス。
vaundyのタイムパラドックスの分析してたけど、分らなすぎて草、二時間くらいかかってなんとなくわかったけど、納得はしてない。
コード理論よりもメロディ理論の方をわかってないといけなさそうなとこある。
レジ割り込みババアに殺意が湧く、いいぞ、健康的。
今朝は携帯とかタブレット触らないで日課と朝の準備をちゃっちゃとやった。
こんなに単純なのだな。
睡気が層になってる。
寢れば寝るほど新鮮な睡気が起こってくる。
テラリア久しぶりに起動したけど、なにやればいいのか全然わからん。あとモンスターがキモい。
この動画のチャーハン、シンプルで上手い。
月に吠えるを読み始めた。序文でフフッとなった。
スーパーマーケットシミュレーター、店舗拡大のため開店準備に一時間弱かかる。
テラリアのプレイ動画見てたらやりたくなってきた。最近ゲームやりたい。
ここ最近はボイトレ以外の日課はこなせていない。すごく気が抜けている。
小学生の頃、母の日に母の好きな花をプレゼントして、すぐそれを母が枯らしてしまったことを思い出した。
母らしいな、と、あのとき笑っていた気がする。いつもならきっと怒っていただろうに。文句は言っていたかも。
栄養剤をちょっとずつあげずに、一気にあげたんだよな。
僕が花をあげたとき、ほくも母も大泣きしていたから、きっと枯れさせたくないって思って、たくさん栄養をあげたのだと思う。
明日のラジオちょっと怖いな。
おたよりが自信ない。
今日あんまり何もできなかったかも。
でもボイトレはたくさんした。
今朝は宮沢賢治の春と修羅と、室生犀星の蒼白き巣窟を読んだ、わからないなって思いながら眺めている、そしたらいつかわかるかもしれない。
でも詩を読むと心がゆっくりする。
何もわからなくても、感じるものはある。
もう三月終わるなぁ。ちまちまギター弾いたり、歌の練習したりしてるけど、スランプ。
トレーニングの内容を増やすか、アップグレードするか、考える時期かもしれない。
久しぶりに耳コピをやった。
最近ギタースケールにちょっとハマりかけていて、耳コピはおざなりにしていたのだけど、流石に何日もやってないと耳が衰えているのでは、と心配になったので、確認も兼ねて。
全く出来ないような気がしていたのだけど、むしろ以前よりスムーズにできた。
曲が簡単だったのかもしれないが。聴き分けられないコードが一つもなかったのは嬉しい。
今日の曲は二回も転調がある曲だったので、多少それを理解できたのもよかった。
コード進行はある程度法則があるので、先読みがうまくいくと、音ゲーでフルコンボしたぐらいの気持ちよさがある。
耳と思考が同時に鍛えられている感じがする。もしかするとギタースケールを弾きまくっているおかげで距離感とか、スケールが見えるようになってきたのかもしれない。だとしたら嬉しい。
3時間ぐらいボイトレをした。低音が弱くなっているので、じっくりやって発声を修正している。
音域自体は戻ってきているのだけど鳴りが貧相。
ボイトレのめんどくさいところは、音域が広がれば広がるほど、その分練習回数が増えるので、時間がどんどん圧迫されることだと思う。
今日は低音に2時間かかった。
音域が下に広がるに従って、スタートの音高をその分下げていけば、時間は変わらないのだけど、そうなるとやらなくなった音域の精度や安定性が下がるので、それはちょっと嫌だ。
いままで出来ていたところが出来なくなったりすると、ほんとうにがっかりする。
ボイトレのレッスンをどこかに受けに行こうか、と、ふと考えて、でも、意味があるのかな、と悩んだりもした。
レッスンは効率よく上達できるから悪くはないが、費用も掛かるし、相性が悪いと習っても上達しない。
ぼくは今まで効率度外視で、独学で、上手くなる方法を見つけることを重視してやってきたから、それを他人のロジックややり方で否定されたりすると嫌だ、というプライドもある。
ボイトレ教室のサイトを見ていると、ほんとうに不親切だな、と思う。どうして講師の生歌の動画をHPに貼っていないのだろうか。
大手音楽教室のシアーミュージックは講師の歌を上げているが、それは加工されたものなので参考にならない。
生音に近い環境で、どれぐらいの音圧なのか、伸びなのか、ピッチ感は、とかそういうところを確かめて、上手さに信頼をおける人に師事したいのに。
対して歌のうまくない人を、カラオケで上手いと言わせる程度に上達させるぐらいだったら僕だってできる。
それはある程度の条件、ピッチとかリズムとか、抑揚、そういうのがわかってれば指導できるし、そもそもカラオケをするという前提なら、原曲をよく聴き込めばいいわけで。
そうではなく、これは盗みたい、習得したい、みたいなものがあるとよくて、だから歌っているところを実際に見て判断したいのだ。
なんかつまらないよな、そういうところ。
今朝めがねをちょっと踏んだ。
布団の傍にあるクッションに置いていて、起き上がったとき、ちょうど着地点にあった。ちょっと歪んだけど、直せる程度。
こういうことが最近ちょくちょく増えていて、脳が衰えてる気がしている。
空き箱のダンボールの両面を中指で押さえて持ち上げ、軽く上下すると、くるくる回って楽しかった。
わかる
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☺
眠い。今日は0時前に寝よう。
毎月1000円、あてもなく貯金をしていたのがいつの間にか7000円になってて、嬉しい。
あと3ヶ月で一万円ってコト…!?
テンあげ。
一万円貯まったら使えなくなる気がする。
そろそろ一人焼肉にチャレンジする頃合いなんじゃないか、と思っている。
今日ほんと寒いな。悲しい。
今日占い的中してる。
いろいろ、いろいろができない。できないわけではない。身体のコンディションは不調ではない。意思を持って動けない。原動力がない。
心が不調なのかわからない。わからないということが不調だということだ。
去年はもう少しいきいきとしていたし、日記もよく書けていた気がする。去年の(一昨年の)僕が今の僕を見たら、びっくりするだろう、こんなに沢山文字を書いているなんて思わないだろう、と誇らしい気持ちでさえいたのに。
今は去年に戻りたい、と、願っている。
数日虚無が続いている。鬱か何かにでもなってしまったのかもしれない。今回ばかりはそう思う。
いや、いままでに何度もそう思う、感じる瞬間はあったけれど、それは思考で整理できると思い込んで凌いでいた。
肝心のその思考が近頃、まったく働かない。
今日やること、次にやること、あとでやろうとしたこと、さっきまでの言動、そういうのを全部忘れる。文脈がどんどんなくなる。
自分の中で制御することが困難になってしまったのなら、ToDoリストやメモを使って、自分をコントロールするしかないかもしれない。
けれど果たして、言う事を聞くだろうか。
最近の僕はとても不誠実であるし、無神経である。
人と関わる時間が減ったからだろうか、他人のことを考えたり気にしたりすることをしなくなったから、気楽ではあるが、能力の衰えを感じる。
またどうにか鍛え直すしかない。しかしコミュニケーションはめんどくさい。
なにはともあれ、まずは生活習慣の改善だろう。睡眠時間や寝る時間帯をまず直さなければならない。
ディグる、という言葉を今日初めて聞いた。
僕が珍しいバンドやアーティストの話をしていた最中に、どうやってそれらに巡り合っているのか、と質問をされたので、ひたすらyoutubeの関連やspotifyの関連アーティストを、ひたすらにまたいで、ようやく一つお宝を見つける、みたいな感じで、と説明したら、なるほど僕もディグります、と言われた。
ディグる、という響き自体は耳にしたことがあるが、意味は全く知らなかったので、適当な相槌で会話を続けながら、さりげなく意味を調べた。
掘る、という意味らしいが、なんというかまったく似つかわしくない響きだ。
「ディグる=掘る」、まったくしっくり来ない。というか「掘る」の方が文字数も音数も少なく、一般的なのだからそちらで良いのではないか、と思う。
このスラングはもともとDJが使い始めたものらしい。
しかし、掘る、というほど音楽を聴いているわけでもない。
ただ音楽を聴きたいのだが、その瞬間に似合った音楽が見つからないから、あらゆるショップや、広大なクローゼットの中をひたすら歩き回ってるというだけだ。
それはほんの少し襟の形や、ボタンのデザイン、色合い、シルエットの違いだ。
音楽を聴きたい気分のときに、気分に合った音楽を見つけたい、というだけ、学びや開拓のために聴いてるわけではない。
僕は衣服の中ではカーディガンがわりと好きだと思っているけれど、なかなか好みのものは見つからない。
値段を制限しなければ、好い物が見つかるかもしれないが、衣服にお金を掛けるならギターの弦を買いたい。
その程度の好意でしかないが、それでもなるべく妥協はしない。
それっぽいカーディガンはたくさんあるけれど、本当に買うものは、これだ、と思ったものでしかない。
音楽は今やタダで聴ける。時間さえあればいくらでも。そんなクソデカクローゼットの中で、存分に今日の気分にあった音を選べる。
これだ、と思える音楽が見つかれば、それだけを聴く。それだけの話しだ。掘る、なんて大げさすぎる。
昔と比べれば、広大で柔らかすぎる土だ。
「薫る花は凛と咲く」はクソだ。
これを数日書くか悩んでいたりしたのだけど、首をかきむしって死にそうなので、やっぱりクソなのだ。
これは僕を殺すマンガだと思う。
いや、すでに03/04につまらなかった、と書いているのだが、やっぱりクソなのだ。
こんなにも僕を苦しめ、悪霊化させる作品は近年稀に見る。
この作品はただの骨組みにしか見えない。キャラクターは誰でもいいような気がする。
人間はそんなに単純じゃないだろ。
あと、さりげない心遣いみたいなのをあからさまに演出するのほんとうに気持ち悪い。
泣きどころを提示してくるのはやらしいよ。しかも泣けないし。
もう読んでないんだけど、ほんとうに嫌すぎたので脳裏に焼き付いている。
内容が頭に入っているわけじゃなくて、この作品に対する嫌悪感が消えないシミになってる。
ほんとに辛い、成仏させてくれ。
だれかつまんないって云ってくれ、それか面白さを徹底的に解説してくれ。
僕だってほんとうは作品のいいところを見つけて肯定して、それなりに納得したい。
でも恐ろしく気持ち悪いんだもん。
SDGsの目標がふと気になったので、調べてみていたら、一個目の目標が『あらゆる場所で、あらゆる形態の貧困に終止符を打つ』で、締め方が無駄にかっこよくてツボった。
二個目の冒頭も『飢餓に終止符をうち~』から始まっていて、チェンソーマンを想起させる。
一体何と戦っているのだろう。
ハイパーゲーム大会を観てる。
スト6面白い。もこう勝って欲しいな。
声の調子戻りそう。
目がかゆい、花粉症スレスレで留まっている。
納豆を無性に食べたくて買って来た。なめろうとぐちゃぐちゃに混ぜて、真ん中に卵乗せよう。絶対おいしい。
左足の親指と脛が痛い。壊死する?
こうもりの侵入経路をふさぐためのアイテムを百均で揃えて風呂場とトイレの窓周りに網を設置し、忌避スプレーをふりかけた。
今夜はこれでこうもりが入ってこないことを祈るだけである。
窓枠の四方にフックを設置し、うまい具合に突き出した部分を活かして、ある程度網を緊張させた状態にした上で横の膨らんだ部分を防水テープで止めて、隙間を塞いでみた。
形としてはかなりうまくいっていると思うが、こうもりの勢いに網やテープが耐えられるかどうかが懸念点である。
できれば今回で成功して、これ以上対策に骨を折りたくない。
かなり突貫で発案し設置したものなので、多方に脆弱性があることは否めない。
いやしかい、これ以上たかがこうもりのために無駄な出費をしたくないのだ。
設置を失敗したときのために、予備の道具などを買っていたら、なんだかんだで1000円以上の出費をしてしまい、本当にかなしい。一回分のランチが……。
こうもり対策のためのアイテム以外に鋸を買った。
ゆくゆくは窓枠を作ることも密かに考えていはいるが、このアイテムがこうもり対策の方に使われることがないよう願っている。
鋸は、こないだ百均アイテムで生成した膝置きテーブルの縦1/3程をカットするために購入した。
フルサイズのキーボードを置くためにはもちろん横幅はあってよいのだが、縦幅はそこまで要らない。
膝置きテーブルは普段デスクに置いており、タイピングをするときは膝に乗せるのだが、デスクでは少し板の下半分がデスクからはみ出ているので、収まりが悪い。
使い始めの頃から、それが微妙にひっかかっていたので、思い切って余った部分を切ることにした。
鋸を使うなんて中学生以来だったから緊張した。緊張している割には、昼はのどかで眠かったので、無防備に持ち歩いて危うく壁にきりこみを入れるところだった。
さてベランダにある、謎の使わなくなったプラスチックの何かを台にして、足でテーブルを抑えて、切るところに一直線、マスキングテープを貼り、ギコギコ。
木くずがあまり出ないようにマスキングテープを貼ったのに、関係なくそれなりに出て来て、涼しい風がそれを舞わせる。
のこぎりの切れ味が悪いのか、それとも台が不安定で抑えられていないのか、ガタガタギコギコとやかましい音を立てているわりには、なかなか切れない。
刃物は力任せに扱えば扱うほど切れ味が落ちていく、ということを思い出して、すこし傾けて擦るように切るとギコギコから、シュコシュコという音に変って、さっきよりもすんなり切れていく。しかし百均だからか、なかなか順調には切れないので、ある程度まで切ったら、直角からきりこみを入れて、ちぎって外す、という感じで切っていった。そのため、切断面がかなりでこぼこになってしまったので、やすりがけをたくさんすることに。
やすりをがけの作業はこういった作業の中で一番すきだ。
小学校の頃、セロハンテープの台を図工の時間で作ったとき、もう完成しているのに、いつまでもいつまでもやすりがけをして提出を遅らせていたことがある。
表面の優しい感触を撫でて確かめながら、まだやすりをかけ、机に置いてその光沢する曲線や丸みをうっとりと眺めては、またやすりをかける。
そんな職人気分に浸っていても、最終的にはニスを塗るという、なんともデリカシーのない工程があるので、そのつるつるは人工的なものになり、嘘くさい光沢が付けられ、それはつまらない置物になる。
そんなことを思い出しながら、気づけば30分ほどが立っていて、でこぼこしていた断面も大分なだらかに、手触りも優しくなっている。
粗い目の紙ヤスリはいつのまにか穴が空いていて、小学校の授業だったら、ヤスリを使わなくなった友達からまた借りて、いつまでもやすっていたのだが、そんなわけにもいかないので、目の細かい紙やすりを持ってきて、さらに手触りを良くしていく。
終わった頃にはシャツもパンツも木くずまみれで茶色くなっていたのには驚いた。多分一時間ぐらいはやすりをかけていた気がする。
おかげで、膝置きテーブルの側面は円みのある手触りで心地よく、今もちょくちょく撫でて確かめている。
今回はニスを塗らなくていいから上機嫌である。
言葉を選ぶ、ということをまともにやっていないから、最近はかなり精度が落ちているように思う。その文沢山線を弾いて正確な線を割り出していく、というやり方になっているが、まぁこれはこれで、楽しいからいいか。できれば一発で奇麗な線を引きたいがな。
男女の友情は成立するか、という話題を持ちかけられたので、成立する、と答えた。
理由は成立している瞬間があるからである。
友情の成立に期間を設けてないのだから、一瞬でも成立していればそれは成立したことになる。
そもそもこんなこと話すことに意味がない、と思っている。
情、とつくものは様子を変えていくものだ。
心を上手に分類できたところで、液体のようにいつのまにか隙間から漏れて、気づけば友情が愛情や恋愛感情、劣情、様々に流れ込んでいくのだから。
それがどんな様相であろうと、その人間との関わりの中で育まれたものであることに変りはなく、それを愛情と見たい人が、友情と見たい人が、そのように見る、というだけの話だと思う。
なにをもってして友達、友情、そんなこともどうせはっきりしていないのだし、無駄なのだ。
その持ちかけて来た人も成立する派だったのだが、どうやら他の人と話したときは成立しないと言われまくったらしい。
こんな話題合コンぐらいでしか生きないだろうに。
成立しない派はおそらく恋愛に発展するということだろうが、まぁ、発展する前提に友情があるくね?というところだし、付き合って別れてそのあと友達になる、というケースもあるだろう、それから、そもそも異性として意識しない異性などもいるわけで、異性、として意識した時点で恋愛感情、というわけでもない。
相手が異性であることを意識するのは配慮の内だろう。
というか、じゃあギャルゲーやラブコメ漫画でよくある、昔から仲の良い異性の幼馴染を好きになる、なられる展開とかはどう説明すればいいんですかね、と言いたくなる。
成立しない派が恋愛感情のみ、というところに落ち着くのだとしたら、それはそれ以上考える必要のないところに結論を持っていくことにした、というだけだと思う。
もしくは男女の関係性のゴールが恋愛である、ということになっているのだろう。
恋愛をすれば、他人を知ることが、深く愛することができる、とでも思っているのだろうか。
恋人、夫婦、家族、などの肩書は愛情表現の幅の制限を開放するためのパスポート的なものでしかなく、制限が掛っているからといって、相手に対して、好意や愛情を表現出来ないわけではないと思うのだが。
成立しない派に対する予想だが、
本能、種の存続の意識が強い人、もしくは愛情表現が振り切れすぎていて、客観的にそれが恋愛感情とみなされてしまうタイプがいると思っている。
前者は生きる上で、恋愛の優先順位が高い。恋愛に対する積極性がある。
後者は、単純なコミュ障だったり、感受性、感情の蛇口が無いタイプでそれをわかってもらえていない、相手に恋愛感情だと勘違いされて関係がこじれる。
書くのめんどくさくなった。
ねむい。コウモリ対策についてずっと考えている。なんとなく対策法がかたまってきた。
とりあえず百均にいかねばならない。
こうもりの侵入経路はおそらく風呂場の窓、もしくは、トイレの窓なのだが、換気のためにできれば閉め切るのは避けたい。
そのため、窓枠に簡易的な網戸を制作して、それを嵌めたいと思っているのだけど、外倒し窓とかいう窓枠から出っ張る窓なので、無理がある。
外側に出っ張る形であればよかったのだけど、残念ながら内側である。
どうぞここから上昇して風呂場にお入りくださいと云っているようなものである。
なんだかここ最近気が滅入っていて、なにをするにも自信がなかったり、忘れっぽい。
鍵の閉め忘れの確認を何度もして、でも毎回閉まっている。それをわかっていない。
マップ移動をすると何かリセットされるのだろうか。
自分で作ったTAB譜が大分弾けるようになってきていて、嬉しい。手がどんどん弾き方を記憶していく。
楽しめることが少なくなってきて、なんだか日記も少し億劫になってしまう。
書くことが少し怖い。もしかすると、人生で書く文字数は定まっていて、それに到達したら言葉が枯れていくのではないか、と、そんなわけのわからないことを考えている。
書けない。
書けない、という呪いを誰かにかけてしまうかもしれないから、書けない、ということを書けない。それを繰り返している。
じっと待って、何か待っていても浮かんで来ない。
潜るしかないのだ。
僕はもうあまり息がもたない、その気圧に耐えられない。
それでも潜るしかないのだと思う。
怖くて息ができなくなってしまう前に。
特段なにもない日常を過ごしているだけなのに、精神的にはどんどん重くなっていく。
そんな重さを眠気と錯覚しているのかもしれない。
眠っていても起きていても、なにをしてもしなくても、経過していく。
時間を見るのが怖いのだろうか、けれど、時間を忘れることも同じくらい怖い。
時間を誤って誰かに迷惑をかけるかもしれない。
時間を忘れて好きなことだけをしていたい。
気づけば肩に力が入っている。
個人のこと、社会のこと、どちらが大切かと云えば、個人のことだ。
前は多分もっと個人のことだけに集中できていた。
今はなんだか、無性に罪悪感が湧いてきて、いや、罪悪感ではないかもしれない、
誰かに救われたくなってゆるしを請うているだけだ、きっと。
こないだ、youtubeのおすすめに久しぶりに岡田斗司夫が出て来て、サムネイルには、これから多職(ポリワーク)の時代、と書いてあった。
動画は見ていないけれど、もうそのタイトルだけで憂鬱な気持になる。
生きているだけで労働、江國香織がいつか何かのラジオかで云っていた。
ほんとうにそうで、その言葉がずっと残っていて、ただでさえ生きることが忙しないのに、加えて働かなければならない。
社会は人間の負荷実験でもしたいのだろうか。
知らないふりをしていても、何かがどんどんのしかかってくることだけはわかる。
今朝もこうもりが居た。この時期は冬眠から覚めて、出産に入るため、栄養を蓄えている最中だそう。
そんな生存戦略のために、我が家は休憩地点として、貢献しているみたいだが、できれば立ち退いて頂きたい。
幸い朝になると、巣に帰るみたいなので、棲みついていないだけマシだが、このまま何の対策もせずに放置していると、いづれはそうなりかねないので、とりあえず忌避スプレーをAmazonで注文した。
おそらくアブラコウモリというやつで、こうもりが苦手としているライトなどは効かないみたいだ。
むしろ明かりの周りに虫が集まるので逆効果だとネットの記事に書いてあった。
今朝、其奴が居た場所が風呂場だったのだが、水場で明かりがある場所だから、それこそ絶好の餌場だ。
とりあえず今日は風呂場の窓を閉じているが、雨が降っているので、どちらにせよ今日は活動していないのではないだろうか。
もしこれでまた深夜、もしくは早朝に其奴を発見した場合、家に棲み着いていることが確定する。
どうかそうでないことを願うばかりだ。
もしそうだったらもういっそのこと皆殺しにでもしてやりたいぐらいだが、こうもりは鳥獣保護法で殺したり傷つけてはいけないので、穏便にことを済ませたい。
久しぶりにしっかりめにボイトレをしたのだけど、どうやら根本的に喉が悪くなっている、というか、無意識に発声がずれていて、元の発声に戻すと少し喉が痛む。しばらく喉を休めないといけないかもしれない。喉が健康になれば、大抵メンタルも復活するしな。
しかし、朗読はしたいので、マッサージとウォーミングアップに集中しつつ、快復を目指そうと思う。
ランニングをやめて、朗読を長時間やることにする。
前ランニングしたときは、開放感とかあって、自然と笑いながら走ってたんだけど、今は何km走ったか、ということばかりが気になり過ぎて、終わるのを待ってる、という感じ。
寒い。
スマートウォッチを買った。ポイントなどを駆使してそれなりに安く。
通知が見れるのでよい。
家にこうもり入ってきて終わった。
トイレにいけない。
たくさん朗読をした。
僕はノッていないけれど、朗読をしている僕はノッているという状態。ベリベリ剥がれていった表層が勝手に踊り歩いている。
なんだかそれが馬鹿らしくて羨ましくて。
朗読をすれば感覚を取り戻せる、と、信じているけれども、なかなかうまくはいかない。
趣味で朗読を始めて七年程、曲がりなりにも技術がついて、何も感じられなくても感じたフリが出来る。
嘘くさいコミュニケーションで、それなりにもてなして、楽しかったと口にする
声に出した文字の余韻が瞬間に消滅する。
故障したライターみたいにパチパチと火花は散るときがある、しっかりとした火がゆらめくところが見られない。
燃料不足なのか、ヤスリの部分が摩耗してしまっているのか。
愛着があるだけに容易に手放すことができないため、どうにか修復したい。快復を待つしかないだろう。
音は確かに踊っていたけれど、呼吸は全くといっていいほど生気を持っていなかったと思う。
息を吸った時、文章の味を確かめなかった。だから、出だしに色がない。
自転車を乗れるようになったばかりの子供みたいに、ふらついてから、また少し安定したように見えて、ふらつきが大きくなって縮んでいくだけ。
いやでも感情はそういうものか。今心はかなり細かく振動しているのかもしれない。
もしかすると上手に乗りこなしている、割り切って乗りこなしている。
平坦な速度でただ漕いで、平坦な路みたいに上って下っている。もっと苦しんでも、もっとスリルを味わってもいいはずなのにな。
こないだ作ったTAB譜を三時間程練習した。譜面作成アプリで再生した演奏はあまりピンとこなかったかれど、じっさいに弾いてみるとやはり違う。
弾けば弾くほど、原曲の伴奏が想起されるし、和音の潤沢な響きが体内に循環する。
自分の手で少しずつその楽譜の垢が、もやが、取り払われていく。
そんなことを書いているとまた弾きたくなる。
弾き語り、というのはどうにも歌うことに重心が置かれていて、実はギターはそれなりに弾いていた。
けれど、弾く、と、歌うが両立している瞬間が最もこころよい。
三年経って、ようやっとギターをちゃんと弾く覚悟が出来始めた。
どうかこの心をこの一年持ち続けていたい、思う。
今日はランニングをサボった。寒いから。
最近、朝はよく卵かけご飯をたべる、少し多めに醤油をかける。しょっぱい。
しょっぱくて、白米の味が少しわかりづらい。
しょうゆが目の前をふさぐ人混みで、米の甘みを探している。
たまに発見するとそれが嬉しい。
どうして僕はこんな人混みの中でわざわざ待ち合わせをしているのだろう。
自分の見通しの甘さが愚かで面白い。
料理、というには少し大げさだが、味わってすぐ結果がわかるのは面白い。
音楽も朗読もそういうところが好きだと思う。
日記をすでに書いたつもりでいた。
今日は足の小指の付け根あたりの側面が、大地を踏みしめる度に痛むので、ランニングは断念。天気は悪くないのだが……。切り替えて早く寝よう。
ランニングの効果なのか、それとも不規則な生活に依るものなのか4kg減量した。しかし体脂肪が落ちている感じはない。相変わらず、お腹はぽよぽよしている。
昼を食べなくなったため、昼食を摂った日や、夕食を多めに食べた日などはかなり胃が重く感じる。
揚げ物も肉の脂身も、こってりギトギトラーメンもまだまだ大好物ではあるものの、そろそろ、身体のことを考えて食べるものを選ぶ時期なのかもしれない。
しかしできれば早死したいと思っているので、本来であれば不健康なものを率先して食べるべきでは、とも思うのだが、あまり脂っこいものや味の濃いものばかりを食べていると体臭がくさくなったり、肌がギトギトになったりして嫌なので、あまり頻繁には食べたくない。
日頃、水を2リットル飲んでいるから、ジュースを飲むとかなり味濃く感じるし、お茶でも少し濃く感じる。なにより口内のベタベタや歯がキシキシする感じが不快なのだけど、そういった表面的な影響以外にも、排泄物の臭いが少し変ったりもするのが如実にわかってそれが人体の素直さとして面白くも感じるのだが、その日の飲食物がそれなりに身体に影響を及ぼしていることを実感して、不安になったりもする。
できれば、健康的、というかバランスのいい食事をしたい、と思っている。
なるたけ健康に早死できればいいのだが。
感受性が腐りすぎて、短歌すら思いつかない、などとここ数日それなりに落ち込んでいて、どうにか紛らわすために、ランニングをしてみたり、人と積極的にコミュニケーションを取ってみたりしちゃったりしているわけだけど、そもそも感受性が腐りかけているので、それらを楽しむことができない、という状態。
しかし、ふと自転車を漕ぎながら、感受性感受性いうとるが、この人そもそも感受しているのだろうか?という疑問が浮かんだ。
思考停止した状態で人の話を聞いたところで、何も面白くないのは当然で、景色の匂いや音もゆっくり眺めて、はじめてわかる。
飲みこむためだけの咀嚼を数回したところで、その味や食感を意識しなければ、結局わからないのだ。
最近、なんだか、なにもかもが味気なく感じていたのは、それらを味わうという行為を僕が忘れていただけのことなのだろう。
もしかすると、最近厭なことでもあったのかもしれない。
僕は昔から厭なこと、苦痛を感じると、感覚をシャットダウンする癖がある。
明日は少しゆっくり白米でも噛みしめて、米の甘みをじっくり楽しもう。
supermarket simulatorを買ってしまった。恐ろしく面白い。気づいたら三時間くらい経過していて、ふと我に帰るとともに急激な吐き気が押し寄せてきて、ギリギリ深刻な咳程度で留まることができた。
自分のタイピング音を聞くために、適当に文字を打っている。マイクごしのひとりASMRを愉しんでいる。
ほんとうにスマートウォッチを買うか悩んでいる。
とうとうジモティーまでインストールした。ワンチャン安値で得られないか、あわよくば貰えないだろうか、と虎視眈々と乞食ろうとしている。
しかし実際それを手に入れたところで、使うビジョンが見えない、というか、実際使ってみると、腕に何か着いているのに違和感を覚えて、数日後には外している自分が容易に想像できてしまって、やはりいらない気がしてくる。
しかし、ランニングやメッセージの通知を受け取れるのは便利、androidだと既読を着けずにLINEを読む方法が公式でないので、本当に困っている。
というかLINEの既読システムに悩まされているのが実際の所で、それがなければほとんど、スマートウォッチなんて必要ないのだ。
iphoneならばトークルームを長押しすれば、既読を着けずにメッセージを読むことが出来るのに、ほんとうに、困ったものだ。
ただでさえメッセージのやりとりって労力がかかるのに、既読システムによって、コミュニケーションにおけるかけひきが複雑化してる。
最近LINEを開くのも億劫になってきて、通知を切っていたけれど、重要なやりとりをすべてLINEでしてしまっているために、結局朝と夜、最低でも一日に二回ぐらいは開かないといけなくなっている。
僕はもともと返信が速い方だったので、通知を切ったことによって、かなり返信が遅れてしまい、
そのせいで、遅くなってしまって申し訳ありません、から文章をスタートする場合が多いのだけど、初手謝罪から書き始めるのは気が重くなる。
ストレスを回避するために通知を切ったはずなのに、それによって新たなストレスが生み出されているというのはなんとも馬鹿げている。
スマートウォッチがあれば、スマホをポケットからいちいち取り出さずに、メッセージを確認することが出来るらしく、しかも既読もつかないらしいので、もうそれだけで買う価値がある。
三、四千円払って、既読システムから逃れることが出来るなら、それもありだと思う。
androidにはNINE、という既読回避アプリがあるのだが、なぜか、設定しても僕のスマホではうまく機能してくれないので、スマートウォッチに頼るよりほかがない
最近、好きな曲のTAB譜を作ることにしている。
ネットで調べたコード譜を見てなんとなく演奏することは出来るけれど、やっぱりもっと原曲に近いコードで演奏したいし、インスタントな演奏にも飽きたし、あまりにも栄養不足すぎて、まったくスキルが上達しない。
引き出しを増やすためにも、より音楽を楽しむためにも、一曲をちゃんと弾こうとするところから始めるのが、今の自分には大事なんじゃないか、と思う。
特にこの頃は、不感症の虚無虚無プリンみたいな暮らしをしていたので、もう一から積んでいくしかない。
一昨日やっと、弾き語りしたい曲のうちの一曲の作譜を終えて、さっき弾いてみたのだけど、弾いて歌うには現実的じゃないので、練習しつつ最適な譜面に何度も修正している。
修正を終え、完璧、と思いながら保存して、また数分して見返すとあらたな修正点が見つかる。おもしろい。
僕はせっかちで完成を急いでしまうけれど、時間を置くと、よりよい方法がどんどん出て来る。
作譜をしていると、それを如実に実感する。こたえを見直すことってやっぱり大事だ。
講座動画と習う
ギターの講座動画がyoutubeのおすすめにちらほら上がるようになるくらいには、講座動画を見ているのだけど、まったく頭に入っていない。
僕は結構人に習うのが好きなのだけれど、なぜか動画になると全く入ってこない。
おそらく習う時の姿勢に問題がある。
講座動画を見るときは、何か有益な情報を得よう、というのが目的になっていて、
直接に人に習うときはコミュニケーションをとろう、学ぼう、というのが目的になっている。
動画はそもそもコミュニケーションにならない、自分中心に事が進むので、よっぽど、それに対して学習意欲がなければうまくいかない。
だからすごく興味のある講座動画であれば記憶できるが、そこまで興味がないが、一応見ている動画に関してはまったく頭に入っていない。
直接人に習う場合はかなり記憶に残る。それはその人との会話で思い出だから。
それでもそれを、使わなくなったら結局忘れてしまうのだけど。
でも何を話したかは思い出せる、と思う。
メモリを4GBくらいブチッと抜かれてる。
マルチタスクがやりづらいし、シングルタスクも重い。
明らかに睡眠不足だな。心の悪い考えも、生活の悪循環から来るものだろう。
虚無。
やばい、何もできない。助けてくれ。
喉は治ってきたけど、身体はずっと としている。空白ばかりが増える。
言葉がまったく出てこないのだ。
前はどのようにして、言葉を書いていたのか、選んでいたのかわからない。
言葉にすることがめんどくさくなってしまったのか、頭蓋骨から脳みそがどんどんこぼれていくような感覚。
一ヶ月後には記憶のほとんどがなくなっていそう。
雪が降っているので、ランニングが出来ない。ランニングの代りに他の運動をすればいいではないか。どうしてそれに固執する。
集中しようとすると彩度がなくなる。
眠れないループから抜け出せない。
今日はかなり低速モードで動いてる。
友人に勧められた「香る花は凛と咲く」を読んだ。主人公とヒロインが付き合うところまでは読んだけれど、つまらなかった。
星をつけるなら3以外にないほどの普通さ。
友人にも普通だったと伝えた。
登場人物が聖人過ぎるのが少々退屈だった。
問題が発生したら、すぐ話し合う、謝罪、身の上話の回想、許す、のムーブを繰り返すだけなので先が見えて面白みが無い。
人間が出来上がっているとこんなにも円滑にコミュニケーションが運ぶのだろうか。
自分の性格の悪さを顧みざるを得ない。
致命的なのは印象に残るコマやセリフが無いということで、これは登場人物が聖人過ぎて、問題や葛藤が起こってもすぐに解決してしまうから盛り上がらない。
作品のテーマとしておそらく差別や偏見を扱っているのだけど、解決方法が話し合いしかないこと、しつこくその人自身を見ろ、と作品が主張してくる。
大抵なにかの問題が起こるとその中心にいる人物が泣いて謝罪、その人の事情の回想、みんなが大丈夫、と励まし、許す。
その回想の内容は大抵予想がつくものだし、というかその話をするためにもっとそのキャラクターに焦点を当てる時間がほしいわけなのに、
そのキャラクターが謝ってから、とか、打ち明けてから、回想が始まって、読者が同情せざるを得ない流れになっている、主人公たちが許すという流れになる。これが汚い。キャラクター一人一人に焦点が当たっているようで、その場の説教のために例題として利用されているみたいな感じがする。これは僕が歪んでいるからだろうか。
その説教くさいところを除けば、登場人物たちに不快なところがないし、主人公の成長はわかりやすく――そのわかりやすさも鬱陶しいのだが――描かれているので、主人公を好きになれる人は少なからず愉しめるとは思う。
眠い
眠い
眠あ
ランニングはしようと思ってる。一応。
本を携帯する
本持って外出たら雨降ったよ。ちょっと出先で読んだ。黙読もたまにはいいね。
これから
なんか始まるみたい。めんどくささ少々、何事もないことを祈る。
モチベが弾くすぎて何も書けない。何も書けないことを胡魔化すためにモチベの低いフリをしているのかもしれない。
自分のことなのに、どっちが本当か分らない、きっとどっちも本当。
小学二年生当時の橘純一君作、オリジナルソングです。
フリーライティングをやった
枕元にキーボード置いとけば、やらざるを得なくなる。
これはなんでもそう、ギターの練習をしたいときは枕元にギターを、本を読みたいときは、読みたい本を置いておけばいい。
必ずスマホより近い、もしくは、スマホを置いている側の視野に入るようにしておくこと。
起きたらまずスマホを触る癖を逆に利用して、スマホのある位置に本とか置いとくといい。
最近のフリーライティングはとりあえず5000文字くらいが最低ノルマなので、とりあえずそれの達成だけした。
内容はスカスカ。フリーライティングで文体や文法を完全に無視するのが癖になってしまって、時々、日記でもおかしな文章になっていたり、適当な語彙がぱっと出なくなってしまっている時が多々あり、ちゃんと書く時間も設けなければならない、と思う。
日記をインターネットに公開するなんて、もしかすると普通ではないことをしているので、人にお見せして恥ずかしくない程度の体裁は保たなければ、と思う、ときもある。
チー牛を共食いする
朝、目が覚めると、チー牛が食べたい、と思った。
フリーライティングの休憩中、布団の中でUber Eatsをインストールし、ログインしてすき家のページを開いていた。
チー牛温玉のせ、が食べたい、とカートい入れ1000円、配達、サービス料込で約1500円。高い。
しかし今日は風が強い、ちらちらと雪も降っていて寒い。
そんな中、たかがチー牛に、1500円も払うのは……。
『すき家 メニュー』とブラウザで検索し、公式サイトのメニューを見る。
チー牛中盛り770円、温玉は100円、870円。
1500円ー870円=630円 630円あれば、チー牛の並をもう一杯頼める。
というか1500円あれば、メガ盛り温玉のせ、でもおつりがくる。
近所のすき家へは1.6km。
1.6kmのためだけに、630円も払うのか、逆に、1.6km自転車を漕げば630円浮く。
行った方がいいのは明白。
フリーライティングを終わらせ、布団から出てすぐ着換えた。
外はクソ寒かったけれど、チー牛を食べたいという気持は折れなかった。
道中、行きつけのお店や、気になる焼肉屋などが目に入ったが、それでも僕が最終的に見据えていたのは、すき家の看板である。
高速道路沿いの店舗だったので、ドライブスルーには沢山車が並んでいた。
土曜のお昼だからか、家族連れがたくさん来ており、カウンターはむしろ空いていた。牛丼屋でこんな光景を見るのは始めてだ。
かなり忙しいみたいで、案内もされず、とりあえず席に坐ったが、坐ってから案内される前に坐ってしまってよかっただろうか、とおどおどしつつ、注文パネルでチー牛と温玉を頼んだ。
注文して5分ほどで、おまたせしてすいません、と云いながら、店員がチー牛と温玉をのせたおぼんを運んでくる。
僕は大して待っていなかったので、いえいえい、と云いながら、それを受け取った。
すき家ではいつも牛丼をあの赤いスプーンで食べる。
おじさんたちはみんな箸で食べているので、牛丼を箸で食べるのが大人なのか、と、学生時代はそんなことも思っていたが、やっぱり丼はかき込むことに集中したいので、一瞬箸をとりかけたが、結局スプーンを持った。
温玉を落し、ぐちゃぐちゃに混ぜて食うチー牛はカルボナーラみたいなもんだ。旨味がどろどろ口に流れ込んできて、最高だった。
一つ隣りのお客さんは僕が店に入る前から、食べていたのに、僕の方が先に食べ終わった。
支払いを済ませ、ごちそうさまです、と云おうとしたら、店員さんは厨房にそそくさと戻っていったので、僕もそそくさと店を出た。
百均にて、支払いを二百円に収めることに成功
帰り道に百均があるので寄った。
タブレットにキーボードを有線で接続するためのアダプターを取り出しやすい位置に引っ掛けるなりなんなりしたいと思っていて、それ用の何かを探していたのだけど、見つからなかったので、小さめの磁石を買った。アダプターの金属部分と壁の金属部分にくっつとけば、いちいち引き出しに収納せずに済む。
その計画自体はうまく行ったのだけど、家にもともとあった少し大きめの磁石の方がよくて、結局買う必要がなかったみたい。
でも小さめの磁石は代りにイヤホンにくっつけて、壁に固定できるようになったので、これで部屋の中でイヤホンを探す手間が省ける。
買い物中、とりあえず欲しいものを手に取り、いつの間にかカゴを持っているので、百均は幻覚魔法でも展開しているのだろうか。
磁石の時点で結果的に要らない買い物をしてしまっていたわけだけど、店内をうろうろしながら、明らかに要らないもの達がカゴに溜まっていた。
しかし、僕もそれなりに百均熟練者であるので、レジに入る前に、3回確認して、要らない物たちを、もとの場所に戻すことに成功した。
最終的に購入したのは、USB延長ケーブルと小さめの磁石だった。
こないだ、AmazonでUSB延長ケーブル(500円)を購入したのだけど、まったく同じ様なものが、百均にもあったのだ。
試しに購入して今キーボードを接続しているが、普通に使えている。
Amazonで買う前に百均で検索をかければよかった……。
坊っちゃん終了
そういえば昨日坊っちゃんの模写が終わった。面白かった。坊っちゃん見てると、ワイ、坊っちゃんに似ているかもしれんと思う。
スプラサーバーにてスプラを愉しむ
会話の自信なし
どうせ降らないと思っていたら、思いっきり降られました。
ランニングはできなさそう。
ワンチャン止まないか?
ボイトレも大事だけど日常生活上の発声を改善したほうがいいっぽい。
しっかり声を出して喋ると行き詰まらない、気持ちがいい。
眠い、気がする。
慢性的な寝不足、生活習慣の乱れに身体が慣れすぎて、違和感に鈍くなっている。
これは適応じゃなく、麻痺。
身体のパフォーマンスが落ちてるのも常時デバフが掛かっていることに気づけていないからだろう。
ランニングの最中など、普段露骨に負荷の掛かってる首や肩などの疲労がどんどん重くなってくるのがわかる。
姿勢も気をつけなければな。
フリーライティングを二日サボってる。明日はやろう、今日こそ早く寝よう。
アマガミ
梨穂子ルートかと思いきや無意識に七咲ルートに入っていたはずなのにエンディングは絢辻さんだった。
アマガミは明確な分岐がほとんどなくて、コミュニケーションをたくさん取れば関係性が育っていくので、メインの子とのイベントが無いときに他の子と話してるといつの間にか発展してるときがある。
毎日誰と関わるか選択させられるのは大分面倒だけど、その分エンディングには納得がいく。
最後の最後になぜか絢辻さんを選択したのは、アマガミプレーヤーとしての性だろ。
絢辻さんは裏表のない素敵な人なんだよなぁ。
もともと七咲が好きだったけど、初プレイから二年後ぐらいに急に絢辻さんの良さに気づき始めて、無性に惹かれるんだよな絢辻さん。
正直、棚町ちゃん以外は魅力的だと思っている。
棚町ちゃんはルートに入ればわかるのだろうか、未だに魅力がわからん。
5.6年ぶりくらいにギャルゲーをちゃんとやってるけどやっぱりおもろい。
アマガミのスケジュール管理も覚えてて、上手にプレイできてる気がするけど、女の子たちとのコミュニケーションに全力を出す暇があれば、ギターを弾いて曲を作ったほうがいいのでは?ともう一人のぼくが申し上げている。
2.5km走った。ペースが少し上がってきた。本当は5km走りたかったけど、雨が降ったので、引き帰した。