>わたしにとって重要だったのは、道徳の価値という問題だった。──そしてこの問題に関してわたしは自分の偉大な師であるショーペンハウアーと、ほとんど独力で対決しなければならなかったのだ。『人間的な、あまりに人間的な』という書物、その情熱とひそかな反論は、ショーペンハウアーを目の前にして語るように書かれたものだったのだ(──あの書物も本書と同じように一つの「論争の書」だったからだ)。
>とくに議論が対立したのは、「非利己主義的なもの」について、同情の本能、自己否定の本能、自己犠牲の本能のもつ価値についてだった。これらのものをショーペンハウアーは長いあいだ美化し、神化し、彼岸のものとしていたために、ついに彼にとっては「価値そのもの」となってしまったのである。そしてショーペンハウアーはこれに基づいて、生にたいしてそして自分自身にたいして、否と語ったのである。
>『道徳の系譜学』(光文社古典新訳文庫)
> 人間的な、余りに人間的な
> 人間的な、余りに人間的なものは大抵は確かに動物的である。