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『モナドロジー』の37

久住哲
が導入される手前
思考の真理だけを考えても、分析の系列の最後は問題にはならない。事実の真理まで考えたとき、分析の系列の最後が問題になり、それが系列の外にあり、それが神であると明らかになる。
『モナドロジー』の33における真理の区別の話は、神の導入のために必要である。