>レーヴァーキューンの作品『ファウストゥス博士の嘆き』は、シェーンベルクの12音技法とモード的対位法を組み合わせた1941年から1942年のオラトリオ、エルンスト・クルシェネクの『エレミエの哀歌(嘆き)』と呼応する。マンは、作曲家としての伝説のモデルとして、1917年にミュンヘンで初演されたハンス・プフィッツナーのオペラ『パレストリーナ』を強く意識していた。レーヴァーキューンのポリフォニック理論へのこだわりは、作曲家パレストリーナが『ミサ・パパエ・マルチェッリ』でいかにポリフォニックな構成を保とうとしたかというオペラのテーマにも通じる。テノールのカール・エルブ(バッハの『マタイ受難曲』の福音書記者の語り手としても非常に有名)は、プフィッツナーのオペラでこの役を作り、レヴァーキューンの『黙示録』の歌手・語り手は、彼を指して「エルベ」(「遺産」、すなわち伝統を継承する者の意)と名付けられている。
>当時のドイツのオペラでは、ベルリンのフェルッチョ・ブゾーニの『ファウスト』(1924年に未完のまま放置)と、1935年に完成したポール・ヒンデミットの『画家マティス』(マティアス・グリューネヴァルトについて)が、同様に創造する個人の孤独を追求し、20世紀初頭の倫理、精神、芸術の危機をドイツのプロテスタント改革に根差させて提示する。