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『オイディプス王』の周辺情報の一部
『オイディプス王』の岩波文庫の解説(藤沢令夫)によると、
ソフォクレス『オイディプス王』は、「オイディプス伝説」を元に創作されている。
最も古いもので、ホメロス『イリアス』『オデュッセイア』に記載がある。

「オイディプス伝説」とは相違点がある。
オイディプスは最後までテバイの王位にあったことになっている。
オイディプスが両目を突いて盲目となったことや、テバイから追放されたことの記載がない。
『イリアス』の短い言及では、オイディプスが戦いに倒れ、その葬儀がテバイで催されたことになっている。
母であり妃のイオカステとの子供のことも語られていない。
伝説記録者によると、オイディプスのニ男ニ女の子供はイオカステとの間の子ではなく、イオカステの死後オイディプスがめとったエウリュガネイアという名の奥さんの子どもであることになっている。

古代ギリシア三大悲劇詩人はみなそれぞれの「オイディプス」劇を作り出している。それぞれ多少の相違点が見られる。
しかし、現存するのはソフォクレスの『オイディプス王』のみ。
アイスキュロスは『ライオス』、『オイディプス』、『テーバイ攻めの七将』という三部作として描いた。
この内、現存するのは『テバイ攻めの七将』のみ。
『テーバイ攻めの七将』から彼の失われた『オイディプス』のモチーフが窺い知れるが、両目を突いたオイディプスが息子達に向かって「お前たちはいつの日か剣を手に遺されたものを争い分けることになろう」と予言めいた呪いの言葉がかけられている。実際、『テーバイ攻めの七将』ではオイディプスの遺子同士が戦い、相討ち共に果てる作品。

元々、ソフォクレスはこの作品を『オイディプス』と呼んでいた。大ディオニュシア祭における悲劇競演では二等賞だったが、ソフォクレス全作品中、最も傑出しているので人々は好んで“王”という題名をつけて呼んだ。
当時からソフォクレスの最高傑作とみなされていたことが分かる。

アリストテレス『詩学』の中で『オイディプス王』を何度も言及して絶賛している。