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「アプらずググるのは恥ずかしい」
へんてこな度外れの羞恥心

意味:「アープラノートを検索しても情報が見つからないからGoogleで検索するということは、アープラノートという検索エンジンが、日常の情報検索に使えるほどのクオリティを持っていないということを意味しており、そのような状態に留まっていることは恥ずかしい」ということ。

この話は別にアープラノートに限らない。
自分たちの検索エンジンではないものを検索に使ってしまうことは恥ずかしい」と真面目に思える心持ちは、自分の検索エンジンの価値を高めてゆくためには重要なものである。

アープラノートを便利なものにしたい」と思い、それに真剣にコミットするならば、アープラノートを恥じることは必須のことであると言ってもいい。というのも、その気持ちがなければ、「アープラノートの不足を埋めよう」といった発想は生じないからだ。満足の目には不足は映らないだろう。

アープラノートのコンセプトは「便利さ」に尽きない。なので、たえず不満を持つことは全般的に必要なのでない。例えば、日記は便利さを主旨としておらず、それ自体で充足していてもよい。