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読書とは遠投である
会話がキャッチボールだとしたら、読書は遠投である。
作者とあなたは遠くにいることが多いだろう。
時代も国も違うかもしれない。
もうひとつ、読書で得た知識を数年後、数十年後の自分が捕球する可能性もある。
さらに僕が読書を好きな一番の理由は、脳の中のホームベースからセンターバックスクリーンに届くような、全く関連付けができなかったことが繋がることがあるからだ。

贈与と言い換えられるかもしれない